白やぎと黒やぎの往復書簡

白やぎと黒やぎの手紙のやりとり、時々読まずに食べてしまいます。

手紙を食べずに読んだ

きっと誰も悪くない。まあ悪意のある言動や行動はよくない。悪意がすべて悪でもないかもしれない。悪意がなければいいのかといえばそれも違うんだけれど。ひとりの人間が悪いということはないんじゃないかな。仲良くなった相手が正直な気持ちを伝えて去っていったとき、とても悲しい。そして自分が悪かったんだって思うしかなくて途方に暮れる。そのひとはきっと正直すぎるんだ。どんなに仲がいいひとでも嫌なところはあるのに、そう思ってしまう自分に耐えられなくなってしまう。これはわたしの話だ。敬愛する人が無理も愛情だと言っていた。この無理と正直な気持ちとのバランスはとてもむずかしい。仲良くしたい人との関係を続けたいから無理をする。それで自分の気持ちや自分を偽るとそれは一体誰なんだろう。わたしはこう思うんだけどあなたはそうなんだね。ぴったりと理解し合うことは無理だとわかっているのにね。うまくいかないことを他人や周りの環境の責任にするひともいれば、さんくまちゃんみたいに自分の責任にするひともいる。好きなことをしたり好きな自分でいるときに離れていくひとがいたとしたら、それは仕方がないんだと思う。少なくともわたしは遠くにいるけれど、このブログのなかやメール、会って話したときのさんくまちゃんをいいなと思っているよ。わたしはわたしのことが好きだから他人とうまくやっていけないんだろうなって時々おもう。自意識が過剰で嘘をつきたくなくて好きな自分を壊したくない。さんくまちゃんの絵が好きな友人もそういう人なのかもしれない。だからさんくまちゃんは悪くないし、相手も。すこしの無理という名の「思いやり」は必要だけれど、好きな自分でいてそれでも一緒にいれる人といれたらいいなと思うなあ。隣にひとりいるのはとても心強いことだなあとおもうよ。