白やぎと黒やぎの往復書簡

白やぎと黒やぎの手紙のやりとり、時々読まずに食べてしまいます。

私の家の話

この世の中で自分が一番不幸なんじゃないかと思う時がたまにある。

皆あると思うけど、私もしょっちゅうある。

今日は休日なのに、父親の電話で9時半に起こされた。

いつもだったら昼の12時位まで寝ている。

父親は、休日でも、皆6時には起きてて生活をしているものだと思い込んでいる。

私の父親は、世間で言う、子離れ出来ていない父親だ。

そういうのから逃れたくて、ここに住んでるというのも、理由のひとつだ。

何しろ結婚するまで、門限は夜の10時で、それを過ぎる前に家に電話を入れなきゃいけない。

私が帰ってくるまで、居間で正座して待っているような父親だった。

だから、彼氏が出来てもお泊まりなんて出来ないし、ましてや、同棲なんてもっての他だった。

結婚した時に週に1回は電話するように心がけていた。それでも、電話は多い方だと思う。

それでも、気が済まない時は3日に1度電話がかかってくる事があって、医者に叱られて父親の方から電話はしないようにと怒られた程だ。

まぁ、今日は、そういった気が済まない日で、昨日電話したのに、朝早く電話がかかってきたのだ。

昨日、実家に電話した時、母親が元気がなく、訳を聞いたら、眠れないとの事。これは、初めてではなく、もう3度目だ。

コロナのせいもあるけど、母親が鬱になる時は決まって料理が出来ない。眠れない。父親が死んで1人になったらどうしようと泣き出す。

確か2年前も同じ事で泣いていた。

いつもは5月に帰るけど、2年前は、早めに帰って4月に帰った。

それで、父親は私が姉の家に泊まりに行くと、なんの為に帰って来たのだ?と、怒り、実家にいると息が詰まりそうになるので、近くのセブンイレブンに行って、高価なおにぎりとタピオカドリンクを買っていると、帰ってくるのが遅いと、私を探し出す。

父親の仕事は公務員だった。皆、生活が安定で素敵ね。羨ましいわと言うけど、実際、私の子供の時代は、一般のサラリーマンの方が収入が良く、ウチはそんなに贅沢させてもらえる家ではなかった。

私の小学生時代は、バブルの時代で、サラリーマンの友達の家では、おやつはポテチにチョコレート、ジュースはコーラと決まっていた。

けど、ウチはおやつはふかし芋、飲み物はほうじ茶だった。コーラは骨が溶けるから。チョコレートは虫歯になるからと、買って貰えなかった。

リカちゃん人形も買って貰えなくて、近所の人のお下がりでリカちゃんのお友達が私のリカちゃんだった。

中学や高校の制服も、皆新品を買って貰えるのに、私は姉のお下がりで、パッツンパッツンな制服で恥ずかしかったものだ。

塾やそろばんにも通わせて貰えなかった。

話を戻すと、今年は母親が鬱になっても、すぐに帰れない。

コロナがあるし、まず、緊急事態宣言が解除されて、ワクチンを打つまでは帰れない。

それまでに、母親の鬱が良くなるまで待たなければならない。

今日も、父親は母親にキレた。

キツく言うのを辞めてと言い続けているけど、キレないとやってられないみたいで、私が里帰りする時も、2回はキレて、私は泣いて、義理の兄が父親を叱る。

そんなパターンが毎年20年続けられている。

誰が悪い訳じゃないけど、これが、私の家の話だ。(パクリ)

朝早くから、電話で起こされて、イライラしたので憂さ晴らしをしたかった。

ポケカラを再開して、1人で2時間歌った。

LAMP IN TERRENというバンドがカッコよくて、あんなボーカリスト素敵と思って、ポケカラを再開した。LAMP IN TERRENの曲は入っていなかった。

https://youtu.be/MDNKplMm69w

ギターは、バレーコードが出来なくていじけている。私にバンドは無理なんだと思い込んだ。

ボーカリストも一応はギター弾けないとと、自分の美学が先立ってしまって、

あぁ、自分はバンドも出来ないのかと思い込んだ。

そしたら、LAMP IN TERRENのボーカルの松本大の歌詞が良かったので、自分も詩を書こうと、詩を書いた。次の詩は私が書いた詩。

私はひとり

でも、君の心の石ころを拾うたび

君の情熱を拾うたび

我慢していた心から涙がこぼれてくるよ

この詩は、もっと長かったけど、ボツになってここだけ残った。

松本大が書いた詩に影響を受けて書いた詩だ。

恥ずかしいけど、これが私の実力。本を沢山読まないとなぁ。バンドマンの道はまだまだずーっと先です。

何だか憂さ晴らしがブログになってしまった。嫌な気分にさせてしまったかな?ごめんなさい。次は楽しい事を書こう。

さんくま